2011年1月13日木曜日

鄭選手がJ1川崎からドイツへ旅立ち、世界のテセへ“故郷”のファンが感謝とエール

 サッカーJリーグ1部(J1)川崎フロンターレで活躍したFW鄭大世(チョン?テセ)選手(26)が、さらなる飛躍を求めてドイツへと旅立った。貪欲(どんよく)に夢へと突き進むスタイルから付いたあだ名は「人間ブルドーザー」。人間味あふれる在日コリアン3世は、同胞のみならず多くの日本人から愛された。「テセ、ありがとう」「いってらっしゃい」―。 信長 rmt
“故郷”川崎では、感謝とエールの声が響いている。

 「テセコール」が巻き起こる等々力陸上競技場。14日にフロンターレが開いた激励セレモニーで、ファン一人一人とタッチを交わして回った。麻生高校2年の高橋史乃さん(17)はスタンド最前列で必死に手を伸ばした。「ありがとう! これからもずっと応援するよ」。声が届くように、大声で叫んだ。 Ragnarok rmt


 サッカー好きの父親の影響で物心つくころからフロンターレファン。「情熱的なプレー、素直に喜びや悔しさを表現する」鄭選手に心奪われた。ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、鄭選手が代表として出場した北朝鮮戦は、日本戦と同様、欠かさず観戦。大敗したポルトガル戦で、最後まであきらめず走る姿勢に「感動して泣いてしまった」。 Arad rmt


 かつて、北朝鮮に対しては「こわい印象があった」と打ち明ける。拉致問題や核開発。テレビから流れてくるニュースは「悪い話ばかり」。でも“祖国”への思いを胸にひたむきにボールを追う鄭選手に「イメージが変わった」という。

 その人間性にひかれ、入団1年目の2006年に同胞よりも早く応援会「テセ会」を発足させた森正雄さん(37 大航海時代 rmt
)=横浜市都筑区=は「今となっては、『あのころ』が懐かしい」とほほ笑む。加入当初、無名の在日コリアンを応援する日本人ファンは森さん一人だった。テセの名前が入った手作りTシャツを着ていると指さされた。「日本人なのに、なぜ在日朝鮮人を応援するんだ?」。日本人には冷たい視線を向けられ、在日には驚かれた。

 だが、そんな声も一切聞
こえなくなった。ロゴ入りユニホームは飛ぶように売れ、応援歌ができた。かつて交わした約束がある。「テセは日本、在日、朝鮮半島の架け橋になること。オレはそれを全力で応援する」。それは、現実のものになりつつある。

 激励セレモニー後に、川崎市内の焼き肉屋で開かれた歓送会。集まった在日コリアンからの喝采(かっさい)はやまなかった。
同市川崎区の車チャ?チョルチュさん(37)は「昔は誰も応援してくれなかった。今は等々力が声援でいっぱいになる。サッカーを通じて、こんなにも世界を、人を変えられるなんて思わなかった」と涙ぐんだ。

 旅立ち前、鄭選手が宣言した言葉。「目標が更新されて、それを一つ一つかなえられるのは幸せ。今は川崎のテセだけど、いつか世界のテセになっ
て戻ってきたい」。故郷は、その成長を温かく見守っている。

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引用元:RMT(リアルマネートレード)専門サイト『RMTワンファースト』

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